なぜそこから離れようと思った?
親の意志で最初から決められていた人生を、自分で決めたかったからだろう?
あれが嫌だ、これが嫌だと、不満が募っての行動だったけど
要するに、そういうことだ
自分で決めるんだ
「エホバ」から自由になるんだと
無力
そして若く、無力だったおれたちは気づくんだ
「エホバ」イコール「親」なので、これからは「親なき」人生を歩まないといけないことに
「親」は子どもの感情を揺らし、責めてくる
スピリチュアル・アタックを繰り返してくる
そのだいたいは「罪悪感」というものだ
そして「家族だから与えられていたもの」を取り上げ始める
「ハルマゲドンでお別れだ」「もう会えなくなる」と悲しむ
「先のない子どもに与えるものはない」と言い、進路選択に協力しなくなる
そうやって無力なおれたちを絶望させた後、「放蕩息子」の話をするのだ
そして、おれたちは一度その無力さゆえに、敗北するんだ
「エホバ」から離れようとしたのであって、「親」から離れようとしたのではないと
さあ、これからが本番だ
そうだったよな?
自立を求めて
おれたちは自立しなければならなかった
「新しい友だち」を見つけるのも一つの方法だった
おれたちの中には勉強を苦にしないやつもけっこういたから、勉強するという方法もあった
とにかく、早く仕事を始めようとするやつもいたし
もうしばらく「親の言いなり」になるやつもいた
そして、それぞれのスピード感で自立していくわけだ
自分で食っていくことができて、家を出ることができればとりあえずひと段落だ
それからというもの、実家とは全くの音信不通を通している人もいるのだろう
おれには、それが唯一の正解のような気がする
「親とは、もう連絡を取ってないんだ」「実家とはもう縁を切っているから」
人からは好奇の目で見られるかも知れないが、他人に説明するようなことでもない
結婚でも考えない限り
おれは絶縁しなかった
おれは実家と絶縁しなかった
おれは自分が本当に自立しているのか、怪しんでいる
自分を訝しんでいる
なぜなら、本当には自由になれていない気がするからだ
おれは働いて家を出るようになってからも、よく実家に帰った
食べることや支払いに困った時には、実家を頼った
『日々の聖句』を聞き流し、同じ「エホバ2世」のかつての知り合いの話を親から聞いた
そして「まあ頑張りなさい」「うん、行ってきます」みたいな挨拶をしてまた自宅に戻った
おれは、エホバ2世でも「普通の家族」みたいに実家に帰りたかった
だから、ほどほどの距離感でやっていくことに疑問はなかった
もっとも、おれも実家の誰も、「普通の家族」なんていうものを知らないのだけど
なぜ絶縁せず自由になろうと思ったのか
おれには兄弟が何人かいて、おれ以前に必死に出ようとした人もいた
しかしまあ、母親も必死だった
出ようとする方が、家出同然に姿を消した時には、母親は延々ずっと探し続けた
見つけたら見つけたで「罪悪感攻撃」と「親子関係の取り上げ」が始まる
おれの実家でも、自由と束縛の容赦のない戦いが起きていた
色々な媒体でおれたち「エホバ2世」の誰かが、その苦しみを訴えているが
小さい頃に体験した、特殊な活動や習慣による「社会での生きづらさ」が半分
もう半分が、自由を求めた「エホバ2世」に対する「食い止め」による傷つき
訴えは、だいたいそのように大別されるように思う
それを目の当たりしたおれは、親の脛を齧りながら、ゆっくり家を出ることにした
戦いを起こさずに、静かに家を出るにはどうすればいいかを考えた
大学生だったおれは、学業を理由に帰宅時間を遅らせていった
10代の終わり頃は、夜になるとおれの携帯電話に母親からの電話がかかることもあった
とにかく、帰宅時間などを高校生までの生活時間帯からだんだんと遅くしていくのだけど
母親が「世の人との交わり」の害や悪を語るのを聞いては
少し気をつけたような時間に戻して、また遅くしていって
どこまで計算していたのかは忘れてしまったが
おれは「もっと自由を」とか「電話をするな」とか、直談判をしたことはなかった
感情的にならないように、必死さを打ち出さないように
だからといって、決して「いうことを聞く」こともしないように
じわじわと「集会」への参加頻度を減らしていった
「会衆」の主要メンバーでなくなれば、束縛感はずいぶんと減ったように思う
とはいえ、本丸は「親子関係の感情的な問題」にある
親からのスピリチュアル・アタックについてだ
メディアで訴える「エホバ2世」がなぜ、怒りとか恨みとか傷つきをそこまで訴えるのか
皆一様に「容赦がない」のか
「エホバ2世」が、その傷から自由になることはできないのか
結論は出ている
おのれと戦え
親と戦ってんじゃねぇ
おれが頼りにしたのは心理学だった
一般化できるかはわからないが、もっと深掘りして書き下ろしていこうと思う
では
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